短刀 延寿国俊 文政七年二月吉日 / Tanto Enjyu Kunitoshi A.D.1824
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tanto kunitoshi 1
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売却済 / Sold
時代 : 江戸末期
国 : 肥後国
証書 : 財団法人日本美術刀剣保存協会
保存刀剣 鑑定書
外装 : 拵付白鞘入
刃長 : 9寸8分強
反り : 1分
目釘穴 : 1個
元幅・元重 : 28.5mm・6.6mm
Period : Late Edo
Country : Higo
Paper : NBTHK Hozon Paper
Fittings : Koshirae + Shirasaya
Length : 29.8cm
Curve : 0.3cm
Hole : 1
Bottom Width,Thickness : 28.5mm・6.6mm
鎌倉中期から山城国では来派が活躍し、この来派が肥後国菊地へ移住したのが延寿派といわれています。国村が延寿派の祖であるとされ、鎌倉末期から南北朝期にかけて大いに繁栄し、その子孫は大正頃の27代末孫延寿国俊まで門跡を残したとあります。山口県下松市花岡八幡宮所蔵には、新古刀を通じて最長の大太刀である「破邪の御太刀」(刃長345.5cm、全長465.5cm、75kg)(安政六年1859)があります。これは幕末の尊皇攘夷思想を背景として、氏子が南朝方の刀匠であった延寿派の末裔である延寿国村27代国綱(後、国俊と改銘)に特注した奉納刀で、砂鉄300貫(1125kg)を用い、川を堰きとめ焼き入れを行う等の逸話が残されているほどのものです。
本作は文政七年(1824)の延寿国俊の短刀で、上記の27代と同人かは定かではありませんが、延寿国村末孫で、水心子正秀門の延寿国秀(国日出)の子といわれております。平造、表裏梵字に護摩箸の彫があり、鍛えは板目少し肌立ち杢交って流れ心があり、黒い地景風の鉄入り、刃紋は刃口締まる互の目乱れに、刃先小沸、砂流つき、刃縁にしきりに銀筋働く勢いのある新々刀期らしい刃です。附の拵は、縁頭、鐔、小尻が真鍮地の一作金具で、目貫、小柄は龍図、鞘には雨竜の蒔絵があり統一感があります。